一看護師の脱東京サマリー

数年看護師してました。さきほど、勇気を出しました。結果、自由になりました。

自分の思いだけが、大正解。

 

休むことに罪悪感なんて必要ない。

 

周りの人と比べる必要もない。

 

自分がやりたいことをやる人生でいたい。

 

人間、いつどうなるかだれにもわからなくて、
やりたいことを、いつできなくなるかもわからない。

 

本も書いてみたい。
写真もたくさん撮りたいし、写真を評価されてみたい。
かわいいぬいぐるみたくさんに囲まれたい。
金沢のおいしい魚介類を食べたい。
片町で楽しい仲間と飲みあるきたい。
お父さんお母さんといる時間を大切にしたい。
家族になりたいと思える人と出会いたい。
看護師としてゆっくり患者さんと関わっていきたい。

 


若いうちに苦手を克服するのも、1つの道じゃない?


と言われた。

身近な人が、若くして死んだ。

人生短い。
そのうえ、いつ何が起きるかわからない。


苦手なんて克服できるかわからない。期間もわからない。若いうちしか看護師しないかもしれない。ずっとするかもしれない。


人生の若いうちに、しんどいことやつらいことするべきだ、という考えもあるのかもしれないけど、ざんねんながらわたしのなかにはそんな考えはない。

 

いつだって生きやすいように生きて、
やりたいことをして、
楽しめて自分を活かせるところを求めて、
長所をのばしていきたい。

 

 

周りの人生うらやんでたらキリがない。
あなただけしあわせになって、ずるい、なんて思ってる暇なんてない。
自分をしあわせにできるのは、自分だけ。
ぎゃくに、自分で自分をしあわせにできるんだから、その特権を生きてるうちに最大限活かさなきゃ。

 

 

だからわたしは苦手なことや、つらいことなんかに時間をさいてるひまはない。
他の人の尺度ではかったら必要なのかもしれないけど、わたしには必要ない。

 

いつだって楽しくていつだってしあわせでいたいから。
いつだって自分の生き方を誇りに思えて、いつだって自分の思いを最優先したいから。

 


こうやって自分とゆっくり向き合う時間がとれて、わたしは本当によかった。
あのまま仕事をつづけていたら、自分を殺すだけでなくて、本当に嫌な人間になって、自分のことしか考えられなくなって、なのに自分の思いに蓋をしていた。

あのまま仕事をつづけていたら、こんなふうにいろんな人生を自分でえらべることも、こんなに広い世界があることも、なにもわからないままだった。

 


勇気を出してなにかをしてみることって、ふりかえってみればこれくらいあっけなくて、
そして新しい立場から前をみてみれば、こんなにもたくさん道が広がっていて、

大切にしたい何かや、いままでの自分の凝り固まっていた考え方にも気づけた。

 


わたしの人生のなかでの、ひとつの大きな経験。
そして、大切な経験。

 

退職できた自分の人生を、誇りに思います。

 

 

だからわたしは甘いと言われるし、
考え方が大きな子どもだと自分でもちらっとおもう。
だけど、日本の世間一般で言われてる社会常識って、古くからの洗脳だとわたしは思ってる。

日本の、
ひとりひとりの個性をつぶすならわし
が、昔からすごく嫌いです。

 

ゆとりだから何?
毎日毎日死んだ顔して仕事して、休日は寝て過ごして、たまに友人と顔合わせれば愚痴ばかりの人生の大人たちの、なにをお手本にすればいいというのですか。


自分らも我慢してるんだから、おまえらも我慢して耐えろ
やろ、どうせ。
そんな幼稚な大人たちに、とやかく言われる筋合いはない。そんな彼らに、わたしの人生指図すらさせない。

 

毎日笑って過ごしたい。

わたしは、本当にそれしか考えてないのに。
つらいことや苦しいことに、自分から飛び込んでいくことを推奨するなんて、ばかなのかと本気で思う。


助言してくれる周りの人たちは、わたしのことをしあわせになんてしてくれない。
わたしのことをしあわせにできるのは、わたし自身なんだから、いつだってわたし基準で生きていくのが大正解です。