一看護師の脱東京サマリー

数年看護師してました。さきほど、勇気を出しました。結果、自由になりました。

どうして謝っているんだろう。



先日、退職届を職場に提出してきました。


看護部長と最後にお話しする際も、もちろん直属の上司である師長にお話しする際も、私の口から出た言葉は、


いちに、申し訳ございません

にに、すみません

さんに、迷惑おかけしてごめんなさい。






年度途中での退職ではあるし、

もちろん急な退職ではあったため、

少なからず周りの方にはご迷惑おかけしていますが。





偉そうに言える立場ではないことはわかっていますが、わたしもそれなりにこの会社からダメージを受け、心に傷を負って辞める形になりました。

なのに、なんでこんなにもわたしが一方的に悪かったみたいなかたちで謝らなければならないんだろう…。






ずっとそう考えながら、上司だった人たちの話を聞いていました。





何が嫌だったか教えてください、の問いに、そんなに明確に一言で答えられる人がいたら、きっとその人は退職なんてしていないと思います。

それくらい、ひとひとりの退職の決断は揺るぎないものであり、複雑な感情や理由が入り混じっています。当たり前です。





現場にいないひとたちは、本当にわからないのでしょうか。もっともっと根本から無駄を省くことは、不可能なのかな。





この世は、こんなにも生きづらいものなのかな。きっと違うと思うんですけど。





生きづらくしてるのは、半分はわたしかもしれない。だけど、環境を変えるのは、わたしにとっては大きいと思います。






明日、東京を出ます。


ようやく解放される。




 




今まさに


職場に退職願を出しにきました。

慣れないことで、どうしていいか流れがわからないゆえ戸惑いが拭えません。





職場にくるのにそうとうな気の重さがあって、、。まさか自分でも、今日ここまでつらいとはおもわず。



本当にこの病院が嫌いになっちゃったんだなあ、と、寂しさも感じつつ、でもわたしは自分を守るしかないのです。






ふと思いました。



心療内科に行くことによって、憂鬱な気持ちや、自分の症状(わたしの場合は、年中蕁麻疹が消えない、頭痛や体重の著明な増減、生理不順や便秘、不眠、ある日突然職場にいく足取りが鉛のようになってしまったこと)などを、正当化あるいは否定せず聞いてもらい、診断をつけてもらえます。





それにより、骨折による全治二ヶ月などと同じくらい長い間、休職を要するかたちになります。





わたしは、正直心療内科に行くまで、気分の一時的な落ち込みだと信じて疑わなかったし、まさかこれが2ヶ月と判断される精神的なものだとも思いませんでした。





でも診断されたその直後から、

「わたしは病気なんだ」

という気持ちがぬぐえず、気分の落ち込み本来のものよりも、わたしは病気である、ということに向き合い出したように思います。





それがわたしは、余計に自分の気持ちを落ち込ませたし、

今日この職場まで行くのも、きっといつもと同じくらいの憂鬱さなのに、病気と診断されただけで何倍も憂鬱になるのです。





それが、なかなかの厄介だと思いました。





心療内科の先生は、優しく話を聞いていただいて、わたしのことをしっかり治してくださりそうなとても信頼できる方でした。





これからこの診断が、自分の人生において甘えのかたちで出てこないよう、肝に銘じないとと思っています。






では、退職願を提出しにいってきます。。




 

仕事を辞めてきました。


「ごめんなさい…今日仕事できません」






いつもどおりの出勤途中、旧友からの突然の電話で「もう辞めや。限界きてんで。今日休み。」言われて、ふとポロポロ涙が溢れてきた。




まさかここまで自分が追い込まれてるなんて、思ってませんでした。これくらい、大人は普通なんかと思ってた。




仕事を休んだことのないわたしは、休むのが怖く、何度も駅まで引き返しながら、でもやっぱり出勤して白衣に着替えました。


病棟につくなり、師長に向けて発した、冒頭の言葉。戸惑いと若干の怒りを表す、目の前の師長に、またおびえるわたし。







思えばこの数年。

新卒からこの病院で働いてきて、楽しかったなんて、天地がひっくり返っても言えなくて。

こんな人生がこの先も続いていくなんて、考えたくもありませんでした。

辞めたいと思い出してからはいつもより余計に勤務がつらく、上司に伝えても具体的な話は進まず、毎日毎日サービス残業の嵐。自分の健康と時間を切り売りして、若い新鮮なこの時期に、わたしはなにを得られるんだろうと、深く考え込んでは、どん底まで落ちていました。





もともとはたくさんの希望と憧れを抱き、入った看護の職場。

だからこその理想と現実の乖離を、わたし自身埋めることができず、それもまたストレスだったのかもしれません。





働き出して初めての有休消化、実家で1週間療養してきました。

だいぶ冷静にものを考えられるようになってきたと思いますが、あの病院に戻るという選択肢は、ゼロどころかマイナスでしかないと今も強く考えています。





今回病院を辞める、看護師を辞めるにあたって、ご無沙汰になるようなつながりの、色々な人たちに連絡を取り、助言を請いました。みんな、久しぶりなのに本当に優しくて…。

連絡したその日に会う約束を取り付けてくれたり、一日中わたしの退職の作戦会議をして付き合ってくれたり、わたしの身体をなによりも心配してくれたり。




わたしにはこんなに素敵なつながりがあって、そのつながりは過去のわたしが築き上げたもので、

素敵な人たちとのつながりに関しては、本当に過去のわたしにありがとうと言いたい。




でもいま、今の自分を誇れるかと聞いたら、まず誇れないと感じて、やっぱりこれではだめだ、と思い切った結果。


やっぱりわたしはこれでよかったんだと思います。






朝目が覚めた時に、ああ、また今日が来た。と、残念な気持ちになる24歳なんて、わたしは嫌。




これからなにをするかは決まってません。だけどこれ以上にどん底になることはないと思っています。




ここから始まるわたしは、どうなるのか。

いま仕事で、人生で、悩んでる人がいたら、一緒に悩みましょう。わたしも一緒にがんばっている人間の1人です。でも本当に、勇気を出してよかった。