一看護師の脱東京サマリー

数年看護師してました。さきほど、勇気を出しました。結果、自由になりました。

自分に同情するな。それは下劣な人間のやることだ。

ノルウェイの森で、永沢さんがワタナベに伝えた助言。

今のわたしには、深く刺さった一言でした。

今、というか、考えてみればこれまでの人生でもわたしは、自分に同情ばかりしてきた気がします。

そんな人は、たしかにそれ以上先へは進めない。

甘やかし同情することは、必ずしも必要ではないですね。

物事を本質的に見るということは、かくも難しいことなのかと、最近思います。

言葉で言うのは本当に簡単でありますが、意味を理解することでワンステップ、さらに実行に移すのでツーステップ。

必要以上に怖がることが多かったわたしに、気づきました。必要以上に、気を使う。必要以上に、自分をへり下る。必要以上に、自分を抑える。必要以上に、自分を。

もっと楽に生きていいんだ。

「もっと我が儘言う練習をしましょう。すこしずつ」

と言ってくれたのは、いま、わたしが恋をしている彼でした。

初対面でわたしの性格を見抜かれ、

彼と似ている部分があったみたい。

わたしは、この人すごい。と思う反面、この人といるのは、自分を見透かされているみたいでやだ。という気持ちもあり、半々でした。

しょーもないやりとりに笑ってくれたり、

知らないことを一生件名説明してくれたり。

この人のこともっと知りたいな、この人の笑ったり楽しんでる姿がみたいな、と、何度か会っても思える人は、なかなか居ないですよね。

東京を離れてから、彼は本来なら、わたしと連絡取り合う必要もないわけです。

もう、次いつ会えるかもわからないわけですし。

それでも連絡をくれる彼に、わたしは毎度、ときめいてしまうのです。

彼みたいな方が近くにいたら、本当に幸せなのに。

だけどそれは、いまわたし自身が、わたし1人でも幸せな境遇であるからそう想像してできるものであるのだとも思えます。

仕事をやめて、ストレッサーから離れられたのですから。

彼の存在がなくても、ベースは幸せなのです。

来週、ひとりで宮古島に5日ほど旅をしてきます。

ひとりでぼーっとする目的です。

彼のことや、仕事のことを、思い出すかもしれないけど、流れに任せていろいろ考えたい。

あの職場を辞められて、わたし心から幸せです。